100年の歴史
城口研究所は、創業者である初代社長 城口権三が、伝染病の予防、防止を目的として大正6年に歩みはじめました。以来、環境衛生の普及と発展を目的に社会に貢献することを使命に歩み続けてまいりました。常に人々の生活を第一に、たゆまぬ創意工夫と研究を続け、これからも未来へ向けて挑戦してまいります。
Ⅰ章 大正~昭和時代
環境衛生の普及・向上を通じて
社会に貢献したい
株式会社城口研究所は、1917(大正6)年、初代社長城口権三が創設した「城口汚物下水処理研究所」からその歴史が始まりました。
以来、「城口式汚水浄化装置」をはじめとする数々の特許技術を開発し、環境衛生の普及・向上に寄与してまいりました。


不況、そして戦争と続く困難な時代を乗り切る
昭和に入ると世界的な不況の嵐が吹き荒れました。ようやく産業界も安定してきたころ日中戦争が勃発、やがて太平洋戦争へと拡大。軍需産業関係の受注は増大しましたが、応召や徴用で人員を欠く中、国会議事堂の受注をはじめ、全社員・役員一体となっての努力と工夫でこの困難な時代を乗り切りました。


Ⅱ章 昭和時代
進駐軍関係工事に始まり、官庁・民間工事へ。
朝鮮戦争の特需が復興を大幅に促進
終戦直後は進駐軍関係の工事が中心でしたが、次第に官庁や民間の工事が発注されるようになりました。日本経済は、戦後の激しいインフレとその後の深刻なデフレによって停滞しましたが、朝鮮戦争の特需と輸出の拡大が引き金となって、昭和30年代の経済成長へと進んでいきます。株式会社城口研究所もホテルニューオータニの受注をはじめ、売上高も年々大幅に伸びていきました。


高度成長によるオフィスビル需要の増大を受け、超高層化時代へ
高度経済成長が続き、オフィスビルの需要が高まると、建築構造に関する技術の発展も伴って建築基準法が改正され、高さ制限が廃止されました。これによって霞が関ビルを皮切りに世界貿易センタービル、新宿三井ビルの建設など、超高層化時代に突入します。城口研究所も霞が関ビルの建設設備をはじめ、新しい工法に次々と挑んでいきました。


Ⅲ章 平成時代
内需拡大に伴う都市開発で続く事業躍進、その後の事業変革への尽力
元号が平成に変わるものの、1980年代後半から始まった好景気は続いていました。俗に言うバブル景気です。城口研究所も横浜ランドマークタワーや恵比寿ガーデンプレイスなどの大型プロジェクトを受注しました。バブル景気の後押しもあり、業績も右肩上がりで伸びていきました。


事業刷新を図り、新菱グループの一員として歩みはじめる
さらなる挑戦と発展。そして創業100周年へ
2000(平成12)年を過ぎたあたりから、バブル経済崩壊の影響がついに建設業界にも及ぶようになり、城口研究所も例にもれず業績は悪化していきました。そして2002(平成14)年、新菱冷熱工業の支援を受け、新菱グループの一員として新生城口研究所が再スタートを切っていきました。建設業界は、2011(平成23)年の東日本大震災以降、復旧、復興需要の増加に伴い公共事業も増加に転じました。当社の売上高も2011年以降、徐々に増加傾向にあり、堅調な決算内容が見て取れます。
2017(平成29)年10月 株式会社城口研究所は創業100周年を迎えました。

